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本日、2014年〜直近までのTHE BOOM / MIYA関連の記事をバックデートで投稿!
GW休みを利用して、やりたかったことのひとつ。2005年からこちらのブログで長い間書き綴ってきた自分の足跡をもう一度見直すことに改め、少しずつ投稿を再開しようかなと思ってます。 すべては、昨年12月のTHE BOOMの解散の影響が大きく、私にとっても様々なことを振り返り、「自分にとって本当に大事なものは何なのか」等々、これまで歩んできた人生を見つめ直すいい機会になっています。 THE BOOMというひとつのバンドが解散し、その景色を失ったことで、自分の目に映るもの、心で感じるものがいい意味で変わったように思う。 そんな今とこれからをもう一度こちらで、書き綴っていきたいなと思う2015年の春。 「一定の文章を丁寧に書くということは、必然的に自分の考えを深めて、整理する作業を伴う」ことだから。 #
by ocean51tf
| 2015-05-04 23:18
| Diary
【法政大学総合講座「沖縄を考える」】
4回目の今日は「戦後70年の沖縄と『島唄』の役割」というテーマで講師は敬愛する宮沢さん。大学講座の一コマで、学生や一般の人を相手に、MIYAの口から何が語られるんだろうとかなり興味津々でした。 MIYAと沖縄音楽との出会いのエピソードから始まり、ひめゆり平和祈念資料館で沖縄戦を体験されたひめゆり学徒隊の方のお話を聞いて『島唄』が生まれたこと、この歌に込めた本当の意味というのを、歌詞を朗読しながら対訳のように、初めてMIYAの口から説明を聞くことのできるとても貴重な機会でした。 ひめゆり資料館で初めて沖縄戦を知ったMIYAは、誰が集団自決に追い込んだのか、県民の4人に1人が命を落とすような結果を招いた責任は誰にあるのか、どうして学校教育で正しいことを教えることができなかったのか、そして、自分が知らなかったことに対する怒りを感じ、平和への願いを込めて、先の元ひめゆり学徒隊の1人のおばあさんに捧げるためにこの曲を作ったという。そうして沖縄限定で発売された『島唄』だったけれど、沖縄戦も知らないウチナーンチュではない自分が歌うことに対して、発表前から批判を受ける予想はあり、発表することに躊躇いも感じていたとのこと。反面、こんなにもヒットすることは予想しておらず、反響が大きかった分だけ批判も相当多かったという。正直『島唄』を歌いたくない時期もあったし、沖縄に行きたくない時期もあったとか。(確かに当時の沖縄でも批判の声は多く、これだけ沖縄のことを想って作った本人にとってのショックは相当なものだったと思う。) また『島唄』に込められた意味をしばらく語ってこなかった理由のひとつとして、発売された1992年、時代はバブルで、皆が浮かれている頃に戦争の歌なんて意味を説明しても誰も聞いてくれるような雰囲気ではなかったと話していた。(日本という国とレコード会社の事情もあり、暗黙の中で多くの圧力もあった、と初めて聞く話も…)それから時代が変わって、援護してくれる人たちが現れ、あちこちで島唄にまつわる話を耳にするようになり、今は少しずつ自分の口でも話すようになったのだそう。 講義の後半、三線ひとつで『島唄』を歌った後、「島唄は琉球音階で作ったけれど、“ウージの森で歌った友よ ウージの下で八千代の別れ” という、防空壕での自決を歌ったBメロ部分だけは『誰がそうさせたのか』という思いから、どうしても琉球音階では作れずに日本音階にした」という作曲時の強いこだわりも初めて本人の口から聞けたことに、改めてその想いの深さを感じました。 最後に「いまだに沖縄では戦争が続いています、終わっていません。辺野古の問題、地中に眠る沢山の不発弾、、沖縄の人たちはオスプレイが怖い、軍事施設が怖いということに怒ってるわけじゃない。自分たちの尊厳がずっと押さえ付けられていることに対して怒っているんです」と一段と力を込めて話していた姿がとても印象的でした。また、これからの『島唄』の目的そして叶えたいことは、「この歌をもう歌わなくてもいいという時が来ること、きっとそうなる時が来ることを願います」と穏やかな表情で語ってくれました。 沢山の大学生が聴講していたけれど、これからの日本を担っていく彼らのまだ柔らかいであろう頭と心に今日の講演が少しでも響くものであったらいいなと思います。 もちろん、戦後70年の今年、出来るだけ沖縄に関わる形で歴史と平和を考えていきたいと思っていた私にとっても大変意義深いイベントでした。 #
by ocean51tf
| 2015-05-01 23:30
| Respect MIYA!
2015/3/19(木)
恵比寿LIQUIDROOMで行われた"Asamoto Lovers Aid"へ行ってきました。 2005年4月の"宮沢和史 presents TOKYO MEETING"以来、10年ぶりとなるリキッドルーム!懐かしい〜。 イベントは、昨年9月の不慮の自転車事故により現在も意識不明の状態が続く音楽プロデューサーの朝本浩文さんにエールを送ろうという趣旨のチャリティーライブ。(加害者が見つからないため、医療費は全額ご家族の負担となっているそうです。) 出演者はMIYAをはじめ、朝本さんの音楽活動に携わってきた沢山のミュージシャンが集結し、私にとってはこれまでBOOM以外では殆ど知る機会のなかった朝本さんの世界。朝本さんが80年代に参加していた"MUTE BEAT"の楽曲など、様々な音楽に触れることが出来てとてもいい時間を共有できました。 平日ということで参加を直前まで迷ったけれど「行ってよかった!」と心から思った。これも前日にチケットを手配してくれたドラムの直樹さんのおかげです!感謝致します。 (最近心得ている「やらずに後悔するより、やって後悔しろ」のルールはやっぱり間違ってない!笑) この日、MIYAが歌った曲はすべて私の予想外で「神様の宝石でできた島」「風になりたい」(スカver.)「島唄」の3曲。すべての曲に朝本さんが関わっているそうで、大好きな「神様の〜」が朝本さんと一緒に作った曲であることをしっかり認識していなかった私はそれを聞いてビックリ。この曲に何度救われてきたことか、これから先もずっと心の支えとなるであろう大好きな歌。 そして、「月さえも眠る夜」など私の大好きなBOOMの曲には何らかの形で朝本さんが携わってるかもしれないと今更ながら実感。。朝本さん、ありがとう。 スカアレンジの「風になりたい」は最初何の曲かわからないほどで、これまで何度か観てきたスカver.の中で1番良かった気がする。お馴染みのおりこうさんメドレー並みのスカスカパラダイスに会場もノリノリ♬ 何よりも、BOOMが解散してもう見れないと思っていたMIYAのスカダンスを再びお目にかかれて、まるでBOOMの"MIYA"が戻ってきたような夢を見ているようで、めちゃくちゃ嬉しかった!!
歌い終わった後、同世代だという(本当かな?笑)トロンボーンの増井さん(元MUTE BEAT)があのミヤジャンプを真似しながら「MIYA若いねえ〜!」と偉く感心。ステージ端で体を休め、上がった息を整えながら照れ笑いするMIYA。^_^ ミヤスカダンス、最高☆ 「島唄」は三線のアレンジが素晴らしかった。朝本さんの世界をイメージしたのかな?と思わせるとても聴き応えのある素晴らしい音色と早弾きに酔いしびれるほど。MIYAが奏でる三線はもう「沖縄の楽器」を超えて、ワールドクラスの音を感じます。私が言うのも何だけど、MIYA、本当に三線が上手!!! 「島唄」を聴きながら、ふと、昨年11月以来1月を除いて毎月、生「島唄」聴いてる自分に気付いてビックリ。もうしばらくは聴くことができないと思っていた「島唄」をまさかかつてない頻度で聴かせてもらってる今。信じられない。贅沢の極みです。 MCでは、朝本さんと一緒にジャマイカを旅して「神様の〜」が生まれたなど、2人で一緒に沢山旅をしたエピソードを披露。「昔のことすぎて記憶が断片的にしか残ってないけれど、はっきり憶えているのは、どこへ行っても朝本さんは空港で犬に吠えられていた」とか会場の空気を温めるのが本当に上手い。笑 他にも「あまり知られていないけれど、島唄にはキーボードで参加してくれた」等々、THE BOOMのライブでは、中々朝本さんたちのようなサポートメンバーの話は聞けないので色々と貴重なエピソードが聞けて良かったです。 沢山のミュージシャンが集まり、最後のトリを務めたミヤ。やっぱりMIYAの歌が1番でした。MIYAの本格的なステージ復帰も心待ちにしています。 そして何よりもこのイベントの目的である朝本さん。 出演者の皆さんが口を揃えて話していたように、近い将来、朝本さんが現場に戻り、またステージに立つ日がくると本当にいいなと思いました。最近から取り入れ始めたという音楽療法がきっと再び朝本さんを目覚ませてくれますように。1日も早い回復を心からお祈りしています。 @AID for Asamoto #
by ocean51tf
| 2015-03-20 22:37
| Respect MIYA!
こちらでお世話になっていた皆様、お久しぶりです。
といっても、沢山のSNSがある現代、自分自身がそうであるように、殆どの方がアクセスしてないとも思われますが。。 突然ですが、今夜、"Asamoto Lovers Aid"というイベントで、久しぶりに恵比寿LIQUIDROOMへ行ってきます。 2005年4月20日の「宮沢和史 presents TOKYO MEETING」以来、10年ぶり2度目のリキッドルーム。このイベントは、当ブログを通じてMIYAのマネージャーさんからサプライズなご招待を受けたものだったこともあり、特別思い入れのある会場です。 そんなわけで今日は「随分久しぶりだな~」と思いながら、当時を思い出してこのブログを開いてみたところ、長年尊敬してやまない宮沢さんに関して、我ながら詳細に"MIYAレポート"を書いていてビックリ!!(笑) 既に書いたことすら忘れていた投稿もあり(汗)、特にライブレポートのような投稿に関しては、大変情けないことに記憶が薄れているものも多く、、ここまで詳細を書き留めている自分に感動を覚え、当時を思い出して、今とても救われた気分です☆ そして、「今の私には、こんな文章書けないなあ~」としみじみ思い、ITの発達した超情報化社会(時代)の中で、自分の変化に少し寂しさを感じてしまいました。 このブログを始めた頃~今までの約10年で、果たして、自分はいい方向へ変われているのだろうか?と。。 残念ながら、自信をもって"YES"とは言えない現実。 「今が1番!」を胸を張って言えない現実。 何だか悔しさが交じります。 ブログから遠ざかって5年。 まだ5年か、もう5年か。 ただ言えることは、ここに綴ってきたように、きちんとまとまった文章を書かなくなったこの5年のブランクはやはり大きいかなと。 文章を組み立て、言葉にすることで、頭や心の中が整理される。 その作業を行っていなかった5年間。 主なアウトプットは、インスタントなFacebookが殆どで、その性質上、発信できる内容はブログとは当然違う。投稿内容も誰に向けられた意識なのか曖昧なものも多い。 そして、昨年末に25年間の音楽活動に終止符を打ったTHE BOOM。 高校生の頃に出会い、20年という人生の半分以上をBOOMの音楽と共に歩んできた私にとって、その「解散」というとてつもなく大きな大きなイベントに関して、かつて、ここに書き綴っていたような形で、きちんと言葉を残せてないという事実。。 「これはいけない!」と思い、このままではこの先、振り返った時に後悔するような気がして、今こうして感じるままに書き綴っています。 その日その時感じたことを、頭と心を整理しながらきちんと文章で残しておく大切さ。 改めて感じてます。 この機会にブログを復活させようかと考えを巡らせながら、ひとまずこれからリキッドルームへ行ってきます! 約1ヶ月ぶりの宮沢さんとの再会、そして歌声を存分に楽しんできます♬
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by ocean51tf
| 2015-03-19 17:55
| Diary
2015/2/21(土)
大城クラウディアLIVE @代官山 晴れたら空に豆まいて 2月に入ってから、無性にMIYAの生歌が恋しくて聴きたくてしょうがなかったこの頃。ひょんな巡り合わせで、12月の最終公演から2ヶ月で夢にも思わぬ再会! ステージにはゲストのMIYAに加え、パーカッショニストの直樹さんやピアニストの鶴来さんも出演という心和む豪華メンバー☆ アルゼンチン出身で沖縄系移民2世のクラウディアが唄う沖縄民謡は、来日12年とは思えないクォリティーと歌唱力で素晴らしいな!と改めて感じるものでした。 20代前半までを沖縄から遠く離れたアルゼンチンで過ごしながらも沖縄民謡(方言)特有の発声や音をこうもきれいに唄い、表現できるものなのかと感銘し、DNAの不思議を感じながら、三線の音色に乗せられ、しばしの沖縄トリップでエネルギーチャージ♫ そして、宮沢さんはといえば、、解散ライブ以降、ずっと引きこもっていたとか、スターでいることに疲れて普通の女の子に戻っていたとか(笑)登場早々MCの腕にキャリアを感じさせるMIYAはさすがの貫禄! でもステージ右袖に立ち、一人の音楽家となって、これまでとは異なる表情で楽しそうに演奏する姿にはもうTHE BOOMではないMIYAの一歩を見た気がして、早くまた宮沢和史としての新しい世界が見たくなりました! それにしても、この至近距離でMIYAを拝見したのは高校時代に最前列で見た伊江島ライブ以来ではないかと思うほど、肌ツヤにまだまだ若さを感じ、惚れ直してしまいました(笑)。まだまだ何かやってくれそうな、これからどんな宮沢さんの世界を創り見せてもらえるのか、今後の活動に期待をせずにはいられないエネルギーを感じました☆ P.S. 最近大きなホールしか行ってなかったけれど、やっぱりライブハウスっていいなあ~と思いました!自分の夢や理想の音楽をひたむきに追求し、世界を創るアーティストにリスペクトです☺︎ #
by ocean51tf
| 2015-02-22 21:25
| Respect MIYA!
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